講師紹介 >> 近藤克則

「日本の医療を良くしたい」「そのための挑戦に参加したい」という人たちが集う場にしたい。熱意は伝染するものだから。卒業生の9割が大学病院の医局に入局し、いきなり専門研修をするのが当たり前だった1983年に「これからはプライマリケアが大事だ」とローテート研修ができる市中病院に飛び出した。良いマニュアルがないことに義憤を感じてつくった『当直医マニュアル』(医歯薬出版)は改訂を重ね第27版が出ている。そして卒後21年後の2004年になって、ローテート研修を基本とする臨床研修は必須化された。海外の研究者まで動員して公害訴訟で争う被告側企業に対抗し、原告である患者側文書の作成チームに研修医ながら参加した。東京高等裁判所で和解が成立したのは1992年のことであった。当時は珍しかった市中病院でリハビリテーション科を開設した頃、欧米では常識であったリハビリテーションの早期開始が日本ではナショナルセンターや国立大学の権威達が「危険だ」と主張し論争になっていた。そこで2000冊のカルテを引っ張り出して研究し反論する論文を書いた。2004年に出された5学会合同の「脳卒中治療ガイドライン」には、私たちの論文が引用されリハビリテーションの早期開始は強く推奨された。小泉首相が「格差はどこの社会にもあり、格差が出ることは悪いことでない」と国会で発言していた頃に「日本は健康格差社会になっている。放置すべきではない」と『健康格差社会』(医学書院、2005)で主張した。健康格差の縮小を目指すというWHO総会決議が2009年にあがり、厚生労働省も2012年に「健康格差の縮小」を「健康日本21(第2次)」の基本的方向に掲げた。後の世代からみれば「常識」「当たり前」も、10〜20年前には、論争があり、非常識・非主流であった。それをつき動かしてきたのは、若者や非主流派として批判されることを厭わない挑戦者たちであった。10−20年後にあるべき日本医療をつくりだす挑戦に参加したい人たちを歓迎したい。